なぜゲームのエンディングはハッピーエンドであってほしいのか

2012年2月20日 20:45
つぶやき

前エントリと関連させて前提。
そういえば小説やマンガや映画には、打ち切りは抜きにしてもなにもかも救えないエンドってあるな、と。で、考えた。
ネタバレは特になし。

①ゲームはそもそも課題解決目標達成ができることが当たり前。
②長い時間つきあったのに期待を裏切られた。
③費やした労力と行った努力が報われなかった

①について。
ピクロスのようなペンシルパズルって、最後必ず全部ルール通り埋まって、パズルによっては最後絵ができたりするじゃない。
論理的に解けないとか、最後に出てくる絵が美しくないパズルは駄作と呼ばれるかもしれない。
でも、そもそも解けないとか、絵が何もでてこないとか、そんなパズルはパズルですらないよね。だってそれが前提でありルールなんだから。

ゲームもゲーム内に課題があって解決していくとか、目標があってそれを達成していくもので、JRPGの場合、それは世界の危機という課題であることが多い。
だから最後にはそれが解決されることが求められるし、今までされてきた。出来なくても新しい世界の予感など、期待は持てるエンドになっていると思う。
それが積み重なって、課題解決つまりハッピーエンドは、前提でありルールであると、少なくともわたしは思っていた。
パズルの論を使うと、ハッピーエンドがひとつもないゲームはゲームですらないかもしれないね。


②について。
まちまちだけどJRPGはエンディングを見るまでに数十時間かかる。それはかなりの時間だ。
それだけの時間を割いたのに、期待を激しく裏切られたら、おれの時間返せコラってなるよね、そりゃ。
期待って上でも書いたようにいい思い、つまるところハッピーエンドのこと。

例えば、嘘の仮定だけど、ハリーポッターが実は「才能や努力があってもダメなときはダメだという無常がテーマです」とかいって、最終巻でヴォルデモートにやられて登場人物はみんな死ぬし世界は滅びるしとかだったりする。
1巻からつきあってきた人は暴動起こすよね。間違いなく本を焼くよね。
長い時間をかけて、様々な期待をそれに持っていて、期待が高まる最後で、どーん。
児童書だから、とか、主人公は特別だかし努力もしてるから、とか、

③について。
②と似ているけれどちょっと違う。ゲームは小説などと違ってプレイヤーが積極的にその世界の中に関わっていく。世界を動かしているのはプレイヤーと思わせてくれるのがゲーム。
世界と表現したものの大小はあれどね。滅びゆく世界を救うのも、村の少年が裏山を見に行くのも、プレイヤーが主人公を操作して一緒に体験している限りは一緒。
最高のハッピーエンドでなくとも満足いく結果をプレイヤーは求めている。この裏切られ方は、コンクールのために努力と時間を費やして作品を作り上げたけれど、八百長ですべての賞は最初から決まっていたというようなところかなぁ。

というわけでまぁ。
プレイヤーが主人公に感情移入して、長い時間かけて課題解決に向けてがんばったのに、
世界は滅びるし救われないし新しい世界が芽生える気配もないし、大切な人も守れないし。
マルチエンディングでも、それよりいい道筋は見えないような。前向きに見えても未解決で解決の鍵もなさそうという。
そんなゲームはどうなんでしょうね。