後日談
母が実家から帰ってきた。
私が見ていないところでどんなことをしていたのか聞いたので、メモのつもりで書いておこうと思う。
葬儀社に連絡するまで。
死亡診断書がないと、頼めないらしい。
祖父は変死だった。
母はよくわからない風だったが、祖父は死後もずっと家にいたのかもしれない。
(母が遺体を「いる」と表現したので倣うことにする)
救急車は間に合わず、警察も来る事態となり、検死もしたそうだ。
司法解剖はしなかったのかもしれない。
祖父の葬式のために、まず医者へ行く。
医者に何やらを書いてもらい(死亡診断書だろうか)、警察へ行く。
やはり、警察でなにやら書類をもらい、今度は役所へ。
役所では火葬許可書といったか、とにかく書類をもらう。
これでやっと、葬儀社にお願いできる。
祖父の葬儀は40万といっていたか。60万だったか。
100万はいかず、会場内の掲示物で見た最安値でもなかった。
金額が増えるにつれ、会場の規模も変わるが、花の量が変わるらしい。
祖父に対しては供花が多く、花は余るほどあったそうだ。
会場を席数だけで論じるなら、もっと小さくても大丈夫だったと思う。
上記とは別に、さらにお金がかかる。
戒名は30万だったそうだ。
お坊様を呼ぶには60万かかったそうだ。
告別式に大僧正と他2名がおいでになり、初七日では告別式と同じ大僧正がお経をあげてくださった。
四十九日は10月。
そのとき、骨壷をお墓に納めるらしい。
お墓は生前に用意していたが、いわば土地しかない状態だ。
四十九日までに、おうち...墓石を建てる。
母の実家の地域の骨壷は、特に小さいらしい。
墓も、それにあわせたサイズになる。
徳島の別の地域の骨壷などはもう少し大きいそうだ。
地域が違うと骨壷が墓に納められないほどらしい。
母は、ドラマで見た骨壷は骨が全て入れられそうなぐらい大きいと笑ったが、私は全て拾いたい。
ところで、母は祖母とまたケンカしたらしい。
晩御飯で仲直りしたというのはいくつになっても親子だと感じてしまった。
四十九日でまた帰ることだし、以前ほど決定的なケンカではないと信じている。
それにしても、母が「自分の母のここが腹立つ」と言っていたことの大部分は、母自身にもあてはまるのは少し、おもしろかった。