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2009年9月 5日 3日 式 - 繭雑玉記

3日 式

2009年9月 5日 23:49 | 【家庭

10時開始。
ホテルからタクシーで会場へ向かった。

会場に着くと、まず記帳をした。
受付や案内はすべて、葬儀社の人がしていた。
名前、住所、電話番号を書く。
会社の人間としてきたわけではないので、会社の名前は書かなかった。

会社の事業部から預かった香典を渡したいのだがというと、会社の分も記帳することになった。
よくわからないが、会社名を書き、名前は部の名前にした。
住所を暗記していないため自分の名刺を出し、そこから写そうとしたら、名刺を置いていってくれればいいと言われた。

遺族控え室には祖母、母の兄、母の3人がすでにそろっていた。
母に、私の会社から弔電とお花が来た旨を聞いた。
お返しはいいだろうから担当の人に一言お礼を言っておいて欲しいといわれた。
福利厚生で届いたものなので正直良くわからない。

葬儀社の方が、弔電の送り主の名前の読み仮名を確認していた。
私は社長の名前をわかっていなかった。

式が始まるからと会場へ案内される。

中央前方に棺が置かれている。
前方の壁は、テーブルがくっついているような、出窓のような構造になっていた。
まず白い布が舞台の上の幕といえばいいだろうか、波を打つようにかけられていた。
壁中央には祖父の写真が飾られている。
そのすぐ横には、小さな卒塔婆が置いてあった。
戒名が書かれているらしい。
テーブルには、お箸を刺したご飯が左右に置かれていた。
すぐそばには、定食のように汁物・なます・山菜などが小さな器に入れられ置いてあった。
それらを囲むように、膨大な量の花がある。

左右前方の壁には、各会社などから供えられた花が置かれていた。
前方に棺を見て右側には遺族席。左側には親族席。
後方、入り口のそばには一般席が並ぶ。

式が始まる前に、葬儀社の方がご焼香の手順、作法を教えてくれた。

式が始まる。
司会は葬儀社の方だった。
まるで入学式や卒業式のように、式次第が用意されていた。
まず、僧侶入場。
3人、お坊様が入ってきた。
一番年配の、祖父よりも年上であろうお坊様が中央に、若いお坊様はその両脇の席に座った。

続いて読経。
真言宗だそうだ。
経に音程をつけて読み上げる。
音楽的に、実は興味深かった。
意図的なものか声のずれかはわからないがハモリがあり、ソロあり、リードボーカルあり。
鳴り物も、大小の鐘と銅鑼があった。
シンバルのような銅鑼は、たたきつけた音だけではなく、それ自身の振動によってぶつかった音も聞かせているんのが印象的だった。

読経の最中、視界の端にうつむく祖母が見えた。
母のすすり泣く声が聞こえた。

読経の後は、ご焼香だ。
教わったとおりに行う。
香はいいにおいがした。

ご焼香の後は、弔電の読み上げ。
その後は、お坊様が退場し、喪主挨拶。
喪主は母の兄がつとめた。

祖父は体が悪いこともなく、今回のことは本当に突然のことだった。
逝去は19時。
昼には「一緒に買い物行こか」と祖母に声をかけるほどだったと言う。

挨拶が終わり、一般の方が会場を出る。
遺族席と親族席に、途中から一人ずつ増えていた。(一人は母のおばらしい)

葬儀社の方が、すばやく会場中の花を摘み取る。
棺が会場中央に運ばれ、ふたが開けられる。
摘み取られた花を、棺に入れるそうだ。

祖母は、祖父の顔の横に白い菊を入れると、祖父の顔を丹念に触っていた。
触れていた。
なでていた。
惜しむように。
徳島では、配偶者は火葬場へついていかない風習があるらしい。
連れて行かれるという根拠のない迷信だそうだ。
祖母は火葬場に行かない。
祖母と祖父の最後のお別れだった。

私は震える手で花を、祖父の顔の周りに置いていった。
白い菊、白い百合。
私は触っていないが、桃色の花もあった。

花を全て入れ、蓋を閉じる。
遺族は写真や戒名の書かれた卒塔婆、それに花束を持っていたのだと思う。
父と、弟と、誰だかわからない親族の男性、それに誰かもう一人、葬儀社の方だろうか。
男性4人が棺を運んだ。

棺が霊柩車に担ぎこまれるのを、ガラス越しに見た。
遺族と親族は、タクシーで火葬場へ一緒に向かう。
祖母は会場でそのまま待つ。

タクシーに乗ると、まず、志と書かれた不祝儀袋を運転手に渡す。
母にあらかじめ渡されていたものだ。
田んぼの真ん中をタクシーは走り、火葬場へついた。

火葬場では作業着を着た二人の男性に迎えられた。
コンクリートの壁に、3つ間を空けて鉄の扉がある。
一番左の扉の前には小さなテーブルが置かれ、上には写真や花が飾られていた。
一番右の扉が開かれ、中から鉄の台が取り出される。棺はその上に置かれた。

「最後のお別れをしてください」と、棺の蓋にある両開きの扉が開かれた。
近い順に中を覗く。
私は少しはなれたところでは何も見えず、近くにより、背伸びをして、やっと祖父の顔が見えた。

棺は壁の中に納められ、鉄の扉が閉められる。
扉の前に小さなテーブルがすぐ置かれ、写真、卒塔婆、花が置かれた。

タクシーで会場へ戻る。
行きと違う道を通ると言われた。
父が言うには、ついてこないように、らしい。

会場に戻ると、豪華な昼食が用意されていた。
ちなみに、やっぱりすだちはあった。

親族の一人はいなくなっていて、7人で昼食をとった。
火葬がすむまで待たなければいけない。
昼食後も遺族控え室で過ごした。

2~3時間後。
火葬場へ再び向かう。
祖母が行かないのも、志を渡すのも、同様だ。

骨を拾う らしい。
どのように骨を見せられるのかわからず、そうぞうをめぐらせた。
綺麗に人の形をした骨が残っているのだろうか。
私は冷静にそれを見られるのだろうか。

作業着を着た男性が鉄の扉を開け、なれた手つきで中を取り出す。
棺は焼けてなくなっていた。
離れていたので良く見えないが、白いものが鉄の台の上にあった。
大腿骨の関節は、その残っている位置から想像できた。
丸い、関節の骨の部分しかない。

火葬場の方が、「熱いですから」と、骨を鉄の菜ばしのようなものを使ってトレイに拾っていった。
やや大きい骨があると、箸の先で砕く。
祖父が目の前で砕かれるのは内心ショックだった。
ほとんどの骨は、どこの骨かわからないような形をしていたが、下あごの骨は大きく残っていて、それとわかる形だった。
正直なところ、ぎょっとした。

一通り拾うと、トレイを皆で囲った。
良くわからない形の骨を取り出し、3つのパーツを組み立てた。
「これは首のところの骨です。こんな風に、拝んでいるように見えるから、仏さんっていうんですよ」
火葬場の方は言った。

小さな緑色の壷を見せ、そこに、納得いくように骨を納めて欲しいといった。
好きにしていいのだが、足の骨から順に入れると、壷の中で故人が体育座りをするような格好になると言った。

母と、母の兄が鉄の箸で骨を壷につめていく。
足の骨、肋骨、首の骨、あごの骨、目の周り、鼻の周り、耳の骨。
火葬場の方は、骨の説明を丁寧にしてくれた。
耳の骨には穴があることを見せてくれた。
精神を落ち着かせようという意味も持って、私は解剖学的な興味で骨を見るようにした。

最後に、頭蓋骨で蓋をするように置いてくださいと言われた。
頭蓋骨は私が思っていたより薄かった。
まだしていない人がしてください、ということで、私も鉄の箸を使い、頭蓋骨のかけらを2枚、壷に納めた。
頭蓋骨は想像より薄く、硬かった。

お骨を納め、蓋をした壷は、綺麗な箱に入れられ、白い布で綺麗に包まれた。
火葬場から会場へ戻る。
このときもまた、行きとは違うルートだ。

会場に戻ると、今度は初七日だ。
最近はお式と一緒に済ませてしまうケースが多いらしい。

いるのは遺族と親族7人だけ。
先ほど告別式にいたお坊様のうちの一人、大僧正だけがお経を上げる。
お経をBGMに、再びご焼香をした。

読経とご焼香だけだった。

ずっと会場前方に置かれていた定食のようなものは、家でも用意するらしく、母が弟に頼んで写真を撮らせていた。
タクシーで母の実家へ戻る。
葬儀社の方が、その定食のことなど、お供えとかこれからの法事などのことを丁寧に教えてくださったようだ。

式が全て終わり、気持ちが軽くなった気がする。
この後は母に、家にいる猫と蛙を見せてもらい、周囲を案内してもらった。
時間も中途半端だったので晩御飯は一緒にとらず、ホテルに戻った。
夕食はホテルのそばで徳島ラーメンを食べた。
翌日は飛行機で帰った。
この日の夜、父と母が電話で話すのを聞き、祖父をお墓へ納めたらしいことがわかった。
あらかじめお墓は用意してあったらしい。

明日、日曜日、母が帰ってくる。
母の兄と同じタイミングで帰ることにしたそうだ。
私は帰宅前に、母に調べごとを二つ頼まれた。
見守りポットと、徳島の食材宅配サービスだ。
前者は調べたが、後者はまだであることを今思い出した。