2日 夕食
どこからどこまでが通夜なのか、よくわからない。
儀式めいたものは少なかった。
始めに通された部屋には食事が置かれていた。
一人ひとりに寿司と、各種惣菜が積まれた大皿。
中華のように回転する。
刺身にはすだちが添えられていた。
徳島の名産だ。
「すだちは何にかければいいの?」と聞くと、「なんにでもかけるよ。それこそ味噌汁にも」と母は応えた。
母や他の大人がそうしているのを見て、私も、弟も、刺身にすだちをかけた。
懐かしかった。
すだちの味は覚えているらしい。
小学生のころ、白菜の浅漬けを、すだちを絞ったしょうゆにつけ、食べていた。
実家の庭にすだちの木があり、食べきれないほど実がなるらしい。
「また送ろうか」と祖母は言った。
母はあいまいにしか答えなかったが、私はうれしかった。
食事は食べきれないほど用意されていた。
良くわからないが、葬儀社かどこかに人数を伝えたら用意してもらえたもののようだ。
皆が食べるのに飽き始めたころ、母が「お宝を見つけた」といって、額に入った写真を見せてくれた。
バレエの衣装を着た、幼女の写真だった。
母が昔バレエを習っていたとは初めて知った。
幼稚園のころから、小5のころまでやっていたらしい。
受験のためにやめたそうだ。
祖母に出会ってから忘れていたが、厳しい人だという印象を思い出した。
祖母は母のアルバムをいくつも見せてくれた。
祖母の若いころは、母と瓜二つで、声には出さなかったが私と弟はひどく驚いた。
親子は似ているというが、今までよくわかっていなかった(私は人の顔の認識が弱いのだと思う)。
しかし、年齢を一緒にするとこうも同一人物にすら見えるのかと。
中学の卒業アルバムの母は、「少女」と形容するにふさわしかった。
というと、母は「美少女でしょ」と訂正した。
こっそり、母のクラスの女子の写真を全て見たが、確かに母は顔が小さく、顔のパーツが整っていて美しかった。
本人には言っていない。
母が作ったという、小学生時代の修学旅行のアルバムがあった。
母も確かに小学生だった。
他にも、母が新聞情報局に入っていたことや、高校の体育祭では校庭にキャンプファイヤーのような炎を3つあげることなど、話してくれた。。
母の過去が垣間見えた。
電車に合わせて帰ろうとすると、祖母は「あんなに暗い道を駅まで歩くなんて危ない」とタクシーを呼んだ。